信仰と恐れ
最近は毎朝、早天の祈りの須藤先生のノートで聖書の一章を勉強しています。
今回は、創世記26章です。イサクさんの話です。イサクの妻リベカは、美しい妻として出てきます。その妻に関してです。
その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、「わたしの妹です」と答えた。リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである。
創世記 26:7 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/gen.26.7.新共同訳
この箇所は、完全にデジャビュです。イサクの父アブラハムも同じ失態をおかしています。エジプトの王とアビメレクの王に、妻サラを妹と紹介しています。(実際に腹違いの妹)
この箇所に関しての須藤先生の解説は、以下の通り。
創世記26章 「恐れの霊を追い出せ!」
26章では、「またか」と言うことが起こります。
・創世記 26:7 その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です。」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です。」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。
父アブラハムはこの間違いを2度も犯しました。それと同じことを息子のイサクもするのです。イサクはどうして、そのような間違いを犯してしまったのか、その理由について主から示されたことがあります。
7節の途中あたりに答えがあります。
「すると彼は、『あれは私の妻です』と言うのを恐れて…」
「恐れて」とあります。「恐れ」があるとき、私達の判断は狂ってしまいます。なぜなら、「恐れ」は「信仰」の正反対だからです。
「恐れ」とは何かといえば、「サタンの嘘を信じること」です。
サタンは私達に様々な嘘を持ってきます。
「このままだと会社がつぶれるよ」「夫婦関係が壊れるよ」「子供がダメになるよ」「あなたは病気で死ぬだろう」etc.
私達はサタンがもたらす、そのような嘘を退けなければなりません。
「下がれサタン!私の父なる神は良いお方だ。そんなことをなさるはずがない」と突っぱねることです。
ところが私達の魂は弱いもので、時として不安になり「ひょっとしたら…」と恐れてしまいます。そのように「サタンの嘘を信じること」は、言い換えれば「サタンの嘘への信仰」です。
ですから私達が何に対して信仰を持つか、つまり「神様への信仰」なのか、「サタンの嘘への信仰」なのかを吟味する必要があります。
そして、そのバロメーターは「恐れの有無」です。
私達に恐れがあるなら、それは「サタンの嘘への信仰」に立っていることを意味します。
しかし私達は「恐れ」を、イエスの御名によって追い出すことができます。
「恐れ」といったネガティブな感情は、実は悪霊のしわざであるからです。「恐れの霊」です。
かつて私には高所恐怖症がありました。今年2月のこと、明日香さん達とグアムの恋人岬に行った時、断崖絶壁から下を見おろして恐怖に襲われました。
「あー、私は高所恐怖症だったんだ」と思い出しましたが、「そうだ、追い出すことができる」と気づいて、次のように祈りました。
「イエスの御名によって、『高所恐怖症の霊』よ出ていけ!」
この祈りを繰り返すうちに、恐れは全くなくなりました。
ハレルヤ!
「信仰」⇔「恐れ」=「悪魔の嘘の信仰」
というのです。
イエス様の信仰が弱い状態は、悪魔の嘘の信じてしまっている状態らしい。そして、この恐れが、人の判断を狂わすらしい。
つまりイサクは、自分の妻の美しさゆえに自分が殺されると恐れ、妻を妹と嘘をついたのでした。
そして、この「恐れ」は、イエスの御名によって、追い出すことができるというのです。
自分の中で恐れが出たら、イエスの御名を使って追い出したいです。